T.Konishiのブログ

歴史とか本とか旅行とか

研究雑々感②家並役の余話ーー近・現代「家並役」のあれこれ

はじめに

 家並役とは、「家」ごとに夫役(労働)や諸公事(年貢以外の現物)を負担する役である。この家並役は、(日本)中世後期の畿内近国に出現し、近世には全国へと展開していった・・・云々。

 学術論文では、往々にしてこのように表現するほかないが、どうも小難しくて身近な感覚を得られない。もちろん学術論文ではそのままで問題ないが、家族・友人・知人に説明するならば、「もっと分かりやすく説明して」などと言われ、終いには話の強制終了だ。

 分かりやすいかはさておき、もう少し身近なこととして説明できないであろうか。そんな動機で、以下、つらつらと駄文を書き記しておく。

 

 冒頭の説明では、家並役はまるで日本中・近世に現れる過去の話のように聞こえるが、実は現在もある(らしい)。試しに "X"(旧Twitter)で検索してみていただきたい。

 筆者もかつて検索したことがある。すると、草刈りやドブ掃除・水路掃除の用例が見られる(ここで引用したいが、個人のアカウントのため躊躇し、断念)。どうやら現代にも慣習として存在するらしい。とすれば、家並役は中世末から現代まで繋がる歴史的存在と言える。また、現代に存在するならば、日本の近代社会の中でも生き抜いてきたと思われる。そんな近・現代「家並役」のあれこれについて少し光を当ててみたい。

 

1.丹波の家並役(昭和期)

 筆者の祖母は、旧丹波国京都府中部)地域の村落部出身である。その村では、1年に1度、各家から1人成年男性が出て村の水路掃除(ドブ浚い)をするという。まさしく、家並役の特徴を慣習として残すものである。筆者は、かつて祖母に、もし祖母の父(曽祖父)が仕事などの用事で出られない場合、いかにしていたのかを尋ねた。その場合は、一緒に住んでいた叔父が代わりに出たらしい。すなわち、家並役では各家から「成年男性」を供出する必要があった。近代以降、村民が職務(曽祖父の場合は教員)を優先しなければならない状況になったとしても、村の慣習(共同体規制)としての家並役は重視されていたと言えよう。

 村の家並役が重視される状況は、筆者の祖母がその村に居住していた、1960年代までは確実にあったという。だが、現在の状況は不明ながら、仮に残っていたとしても、昔ほどの規範性(共同体規制としての力)が失われた可能性が高い。(*祖母に聞き取りに基づく伝聞情報であるため、今後は現地での綿密な聞き取りを実施し、追記したい。)

 

2.三河の家並役(明治期)

 次に、明治期の徴兵と村の家並役免除の関係を見ていきたい(この内容は、中近世移行期の社会にも大きく通じる部分がある)。以下、内容の多くは、池山弘(2006)の研究成果によるところが大きいため、はじめに断っておく*1

 明治10年代後半から、徴兵勧奨・兵役奨励のため、徴兵現役帰郷者の民間団体「徴兵慰労会」なるものが設立されたという(池山2006)。実は、愛知県下の「徴兵慰労会」規約の中に、家並役を免除する内容を散見する。例えば、三河地域の西加茂郡徴兵優待規約には、「徴兵入営スルモノアレハ道路修繕溝浚夜番等渾テ家並役ヲ免除スヘシ」と見られる*2。また、同じく八名郡徴兵慰労規約では、「徴兵入営ノ者アレハ道路修繕溝浚夜番等渾テ家並役ヲ免除スヘシ」とある*3。以上より、明治期の三河国落部における家並役の内容が、①道路修繕、②溝浚、③夜番などであったと判明する。これらは、冒頭の"X"(旧Twitter)で検索した例や、1丹波の事例で挙げたものと類似する。つまり、家並役は、村落内のライフライン維持・再生産のために、用いられていたと言えよう。そして、徴兵された者が免除されるという規定は、徴兵優待や慰労のための措置として機能したのであろう。なお、このような臨時措置は、中近世移行期においても数多くある。家並役免除をめぐる通時性が見られる点は興味深い。

 

 以上、近・現代の家並役についてあれこれと纏まりのない話を書き連ねてきた。村の家並役が村落内のライフライン維持・再生産を目的に、比較的最近まで継続してきたことがわかった。ここで改めて言いたいことは、存外広範に、そして息長く村の家並役が続いてきたという点である。村の家役が「家別」「家並」で課されるようになったというのは、15〜16世紀の畿内近国(今の近畿地方)とされる*4。それが、領主課役に転化した時期もあったが*5、あくまでもその基盤には村の家並役が持続していたということは重要であろう。村の家並役が持つ意味については、他時代の研究を含めた先学やフィールド調査に学びつつ、改めて深く考えていきたい。

 

ーーーーーーーー

P.S. 論文で言えること、言えないこと、そして余話

 論文は字数制限がある。ゆえに、何が要点であるかを、論理的に説明できる訳である。ただし、全てを語るには余りにも足りない。問題意識や時代観、権力や民衆に対する私の眼差し、これらを入れ込むことができなかった。情けないが、今後の課題としたい。

 代わりに、余話を少し述べてみた。もう少し、面白くなるはずだったが、まあこれも今後の課題。そして、これは論文ではなく、ブログであるので悪しからず。

 

2023.11.22 秋の京都東山にて

 

 

 

 

 

*1:池山弘「愛知県に於ける軍事援護組織「徴兵慰労会」の形成」(『四日市大学論集』第19巻第1号、2006年)。

*2:明治十九年四月、愛知県西加茂郡徴兵優待規約、(池山2006)。

*3:明治十九年八月、愛知県八名郡徴兵慰労規約、(池山2006)。

*4:勝俣鎮夫「戦国時代の村落ーー和泉国入山田村・日根野村を中心に」(『戦国時代論』岩波書店、1996年、初出1985年)。藤木久志「移行期村落論」(『村と領主の戦国世界』東京大学出版会、1997年、初出1988年)。

*5:拙稿、小西匠「戦国期畿内近国における家並人夫役の成立」(『日本史研究』735号、2023年)。