T.Konishiのブログ

歴史とか本とか旅行とか

中世の日常/非日常②ー戦国時代の雑踏事故ー

歴史上の事件・事故・災害を現在に生かすことができるか。

また、現実の出来事から歴史を再解釈することができるか。

 

どちらも一筋縄にはいかない問いであり、むしろ安易に結びつけることに慎重にならねばなるまい。これを大前提に置いた上で、一つ目の問いに答えることができれば、昨今頻りに唱えられる「有用性のある学問」(これ自体ほぼ無意味なキャッチフレーズだが、)に対する一つの解答にもなりうるであろう。

ただ、実際のところ、地震や災害との関係で歴史学(文献史学)が大いに成果を上げている事実がある。また、地盤降下や海面(湖面)上昇を人間の生きるスパンで解明するのに近年の歴史学(環境史)は寄与している。特に自然災害との関係では、現代社会の防災に歴史が大いに生かされているといっても過言ではない。

一方で、事件に関して言えば、現在に生かすことがあまりなされていない。なぜならば、歴史的事件は特殊な条件下で発生した出来事であり、その一回性ゆえに全く同じことは繰り返さないためである。異なる条件下で発生した過去の出来事に徒らに現在に投影してしまうと、判断を誤る可能性すらある。(もちろん教訓や道徳などのようなものとして利用されることはあるが・・・)

さて、長い前置きを踏まえて、今回はあえて人為的な災害たる「事故」を取り上げることにしたい。事故は事件と災害の中間に位置するものだが、その悲惨な結末を知っていれば、何かしらに役立てられるか、という思いである。

 

2022年10月29日夜半、韓国ソウル特別市の梨泰院で雑踏事故が発生した。ハロウィンの夜に狭い路地に多くの人々が集まったことで群衆雪崩が発生し、多くの命が犠牲となった。我々の記憶にも新しい悲惨な事故である。

翌朝以降、隣国の日本でも事故のニュースが報道され、多くの人が衝撃を受けたと思われる。次第に明らかとなる事故の詳細の中で、男性よりも女性の犠牲者が多かったことが知られた。群衆の中で圧迫を受けると、一般的に身体が小さければ小さいほど、呼吸困難になりやすく、圧死に至るリスクが高まるとされる。このような話は、本来悲しい事故が起きなければ知り得なかったものであった。

しかしながら、長い歴史のなかで(過去の延長に生きる)我々は類似の雑踏事故を経験している。本記事では、それについて少し詳しく取り上げてみたい。

 

戦国時代も佳境に入りつつある天文五年(1536)七月末、京都では天文法華の乱が起こった。延暦寺と六角定頼の軍勢が京中に侵入し、町衆を中心に信仰を集めていた法華宗を攻撃した。この天文法華の乱では、3,000〜4,000人の犠牲者が出て、下京のほとんどと上京の2/3が焼失したとされる(『祐園記抄』天文五年七月条)。ここまでで既に悲惨な事件(戦争)だが、連なって更なる悲しい事故が発生した。

又内裡ヘニゲ入者数千人アリ、女・童部押コロサレ、又ハ水ニカツエテ死ス、四方ノツヰツノ外ヘナゲ出シ々々スル間内程廻死人数百人有云々、(『祐園記抄』〈『続々群書類従 第三 史伝部』『続南行雑録』所収)

これは、南都(奈良)の春日社司中臣祐園が伝聞をもとに書いた記事の引用である。そこには以上のように、焼け残った禁裏に逃げ込んだ人々とその悲惨な結末が記される。戦国期の禁裏空間(特に庭)は民衆にとって緊急時の避難場所とされていた(清水1998*1)。したがって、人々は禁裏に逃げ込んだわけだが、その中で「女・童部」が圧死したと記される。また、水に飢えて亡くなる者も続出し、四方の築地塀から禁裏の外へ投げ出された遺体が数百人にのぼった。

ここで見られる内容は、死因から考えるに、まさしく群衆が狭い空間に殺到したことによって引き起こされた雑踏事故であろう。そして、注目すべきは犠牲者の多くが女性と子どもであったという点である。一般に、成人男性に比べて相対的に身体が小さい人々から圧迫に耐えきれず、亡くなったと考えられる。これは梨泰院の事故と大変酷似した状況と言えよう。

 

「現実の出来事から歴史を再解釈することができるか。」

かつて、この戦国期の雑踏事故を分析した清水克行は、この引用部から妻子が優先的に避難させられていた結果であると論じた(清水1998*2)。もちろんそのように解釈することも十分に可能だが、混乱の中で禁裏に逃げ込んだのは女性と子どもだけであったのであろうか。むしろ避難者には男性も含まれていたが、雑踏事故の結果として被害が女性と子どもに集中した可能性もあるのではなかろうか。筆者自身も清水論文を読んだ時期が、昨年10月以前であったならば、違和感を抱かなかったかもしれない。だが、現実の雑踏事故の衝撃を目の当たりにした今では、以上のような再解釈が成立すると考えられる。

 

「歴史上の事件・事故・災害を現在に生かすことができるか。」

昨年の雑踏事故に加えて、戦国時代の悲惨な大事故を踏まえた場合、群衆雪崩の際に最も犠牲となりやすいのは子ども、そして女性の順になるということである。梨泰院ではハロウィンの夜という特殊条件ゆえに大人が多かったが、そうした条件を除けば子どもが一番危ないであろう。そして、群衆による雑踏事故は概して、統制が効かない混乱の最中で起こりやすい。書いていて当たり前のような気がしてきたが、実際に現場にいると、なかなか正常に判断を行うこと自体が難しいと思われる。以上、二件からこうした幾つかの教訓を導き出されるのではなかろうか。簡単に実生活に生かすことは難しいが、知っていて損はないし、悲惨な事故を繰り返さないためにも、語り継ぐべき内容であろう。

 

つらつらと駄文を書き重ねてしまった。本記事の内容自体が、未だ鮮明な事故の記憶を思い起こさせる可能性もあり、公開するか悩ましいが、事故を風化させないため、そして冒頭の二つの問いを実践するために踏み切ることにする。

 

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P.S. 謹賀新年

新年初めての、そして久しぶりの記事がこれで良いのか随分と悩んだ。

年末年始に清水克行さんの著作を読み、その文章力と構想力に随分と魅了された。あまりに面白いので、自分でも色々考えてみようと思い、書き始めた文章であったが、拙いし、何より意図するところが上手く伝わるか不安だ。「伝わってくれ、お願いします」という気持ちです。

今年も少しずつでも良いので何かしら書き続けていければという思いです。よろしくお願いします。

 

 

*1:清水克行「戦国期における禁裏空間と都市民衆」(『[増補版]室町社会の騒擾と秩序』講談社、2022年、初出1998年

*2:前掲清水論文